【連載 名力士ライバル列伝】旭富士 小錦 霧島の言葉「心を燃やした好敵手たち」・大関小錦後編(BBM Sports)

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出典元:BBM Sports

昭和から平成へ、時代のターニングポイントにおいて、
土俵を沸かせた名力士たち。
元旭富士の伊勢ケ濱親方、小錦八十吉氏、
元霧島の陸奥親方の言葉の言葉とともに、
それぞれの名勝負、生き様を回顧したい。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

大きかった霧島の存在

戦友が誠実に土俵を務める姿が、小錦の土俵への情熱をかきたてた

昭和62(1987)年夏場所後、大関に昇進。さらにその上の横綱へと意気込んだ小錦だが、現実は厳しかった。優勝直前までには迫るが、なかなかつかめない。増え続ける体重に体が悲鳴を挙げ、大負けする場所もあった。そして平成元年九州場所、念願の初優勝。勝ち残りの土俵下で、涙を流す小錦。それはうれし涙ではなかった。

「70%は悔し涙。その前に5、6回準優勝で、その悔しさ、なんで優勝できなかったかと思い出して涙が出た」

その後も2回の優勝を積み重ねたが、横綱には届かない。やがてハワイ出身の後輩・曙が大関に並び、追い抜いて、平成5(1993)年初場所後、史上初の外国人横綱が誕生した。一方、小錦はその年の九州場所後に関脇に陥落。1場所で平幕へと転げ落ちた。

それでも小錦は、くさらずに土俵を務めた。大きな励みとなったのが、霧島の存在だ。巨漢の小錦と対照的に小柄で筋肉質の霧島は、新入幕が同じ昭和59年名古屋場所の「幕内同期生」。霧島は小錦に強く、牛若丸と弁慶のような相撲で館内を沸かせた。

その後の番付は小錦が先行したが、やがて霧島が遅咲きの花を咲かせ、大関に並び立つ。平成4年春場所には、千秋楽結びで2敗の大関同士で優勝をかけて激突し、小錦が勝って3回目の優勝を飾っている。そして、小錦より1年早く、関脇に陥落。そんな戦友が誠実に土俵を務める姿が、小錦の土俵への情熱をかきたてた。

「年は僕より4歳上で、入門は7年も早いのに、大関から落ちても努力を忘れず、長く相撲を取ろうとしている。そんな姿を見習いたいと思ったね」

かつての力の衰えは隠せず、あっさりと土俵を割ることも増えた。それでも必死に相撲を取る小錦の姿は、“黒船旋風”のときとは別の形で、ファンの心をゆさぶった。

「横綱にはなれなかったけど、悔いは残っていません。夢を持って、できる限りのことを一生懸命やりましたから。残念だけど、悔いは残っていません」

引退会見で、小錦は、きっぱりと、そう言い切った。

(対戦成績)
小錦 16勝 ― 19勝 霧島

『名力士風雲録』第19号旭富士 小錦 霧島掲載

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