上野由岐子、泣けた有終連覇 08年再現米破った…担当記者が見た(スポーツ報知)

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出典元:スポーツ報知

◆東京五輪 ソフトボール ▽決勝 日本2―0米国(27日・横浜スタジアム)

 日本は決勝で米国を2―0で下して2度目の金メダルを獲得した。「最後の舞台」で13年ぶりの“連覇”の立役者となったエース・上野由岐子(39)=ビックカメラ高崎=と「恩師」と慕う宇津木麗華監督(58)の師弟で初めてつかんだ世界の頂点を、ソフトボール担当の宮下京香記者が「見た」。

 上野にとって、東京五輪は恩返しの舞台だった。1年前、インタビューで「ここまでソフトボールを続けてこられた一番の理由は何でしょうか?」と聞くと、「宇津木(麗華)監督に出会えたから。出会えてなかったらこんなに長くやれていない」と言い切った。強い口調から、恩師への思いを感じ取った。

 宇津木監督は22年間、上野を見守り続けてきた。00年シドニー五輪で銀メダルに終わった宇津木氏は日本が「世界一」をつかむための投手が重要と考え、上野を九州女高(現福岡大若葉)時代から気にかけてきた。08年北京五輪前には3大会連続金メダルの米国打線への秘策として、新球・シュートを伝授。どんな時も「上野を世界で一番の投手に育てたい」という思いで接してきた。

 それは、一番弟子がどん底にいた時も変わらなかった。北京五輪で金メダルに導いた右腕は大会後、競技を続ける意義を見失った。「練習に行きたくない」「朝も起きたくない」「辞められるのであればすぐにでも辞めたい」。宇津木監督は「辞めないことに意味がある。やりたくなったらやればいいから」と声をかけ、グラウンドにとどめた。その後に「ここで辞めさせたら絶対にダメだと思った」と振り返ったが、直感は間違っていなかった。

 16年8月、国際オリンピック委員会の総会でソフトボールは東京五輪で種目復帰が決定した。当時上野は五輪復活の喜びは語っていたものの、再び夢舞台のマウンドに立つことは頭になかった。だが、同年10月に宇津木氏が代表監督に就任。上野は「それが大きかった」と自然と“挑戦”に心が傾き、再び腹をくくった。

 上野は3度目の五輪について「集大成」と位置づけ、宇津木監督はその言葉をしっかり受け止めていた。19年4月、日本リーグの試合で上野は顔面に打球を受け、下顎骨を骨折。患部を固定するために長さ約1・5センチのボルトを入れた。五輪が1年延期された昨年、指揮官は「今がちょうどいい」と人生2度目のオペでボルトを抜くか迷っていた上野の背中を押した。手を尽くして本番を迎えてほしかったからだ。

 「世界で一番の投手に育てたい」「世界一の投手になりたい」。二人三脚で輝くメダルをつかんだ。(ソフトボール担当・宮下 京香)

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