一生忘れぬ感激 後楽園のG党までが拍手 興奮が生んだ田淵の決勝アーチ…ヒルマニアが選ぶベストゲーム(スポーツ報知)

出典元:スポーツ報知

巨人・阪神戦が15日、通算2000試合を迎えた。プロ野球記者歴49年目を迎えたヒルマニアこと蛭間豊章記者が、もう一度見たいと語っているのが、次にあげる1972年の一戦だ。

 * * * 

 巨人・阪神戦はテレビで、取材現場で数多くの試合を見続けた。その中でもう一度見たい試合がある。それはまだ学生だったときに観戦した試合だ。

 それは1972年6月2日、後楽園球場で行われた伝統の一戦だ。阪神が10連勝で乗り込んだゲーム差無しの週末の3連戦初戦、当時の日本テレビ系列では金曜日にプロレス中継があるため、巨人戦の中継はない日だった。

 私は試合開始30分前くらいに外野席売り場に到着。ところが、満員札止めでチケット売り場には「完売」の文字。しかし、売り場の周りには切符を買えずに怒ったファンが数百人おり、係員との「入れろ、入れない」の押し問答のあげく外野19番ゲートに殺到。約200人のファンが乱入した、と翌日の新聞に載った。

 その中の一人が私だった。

 スタジアムに入ったものの通路までびっしり埋まり、唯一空いていたのはバックスクリーン裏の階段状になっている場所で、もちろん立ち見である。

 試合は堀内恒夫、江夏豊という当時最高の投手2人が激突。巨人が敵失で1回に先行するも6回に田淵幸一が堀内のカーブを左翼席にたたき込んで同点となる。

 中盤から阪神のディフェンスがスーパープレーを連発する。4回に三塁打で出塁した柴田勲が阿野鉱二の中飛でタッチアップで本塁を狙ったが、池田純一(当時の登録名は祥浩)が完璧なバックホームで刺した。6回には1死一、三塁から堀内がスクイズを敢行、すると江夏が脱兎のごとく前進して本塁へ、グラブトスしてタッチアウト。

 そして、7回無死一塁からは何と王貞治が送りバント。これがファウルとなって、打ち直した打球はバックスクリーンやや左翼側への大飛球。これを中堅・池田が王シフトで守っていた右中間から激走したまま後ろ向きでつかむ大ファインプレー。一塁走者・土井正三は三塁を回るほどの打球で戻れずに併殺。その時、目の前で見下ろしていたバックスクリーン裏の私たちの集団は、スポーツ紙のカメラマンとともに階段下に将棋倒しとなるほどのプレーだった。

 この守備が9回の田淵の決勝2ランを誘う。翌日の報知新聞1面を飾ったのは元近鉄投手で阪神担当だった蔦行雄記者。原稿の書き出しに「その時、左翼席から突然起こった手拍子は、三塁側から巨人ファンで埋められているはずのネット裏まで巻き込み、球場全体を、ゾクゾクするほどの興奮で盛り上げていった」と描写。打ったのはカウント2―2の後。1球ごとに歓声が大きくなって「タブチコール」は後楽園スタジアムを覆いつくさんばかり。そして再びカーブをジャスミートした打球は左翼ジャンボスタンドに吸い込まれていった。

 埼玉の片田舎に住んでいた私は、深夜11時過ぎで自転車置き場が閉まっていたため、自宅まで約5キロの道のりを、スタジアムの熱狂の余韻で夢見心地のまま小走りに走り帰った。

 翌朝、駅まですっ飛んでいってスポーツ紙全紙を購入した。

 そして、その当時の熱狂度を象徴するかのように、大阪では翌週の甲子園でのGT戦前売り券を買うために寝ずに早朝から出かけた大阪市内の61歳の老人(今の私よりも若い)が心臓麻痺で亡くなったというニュースが載っていた。(蛭間 豊章=ベースボール・アナリスト)=敬称略=

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