元能代工高バスケ部監督・加藤三彦氏が”9冠時代”を振り返り 「コンビネーションの作り方」「差を付けるオフェンス」を語る(月刊バレーボール&月刊バスケットボール)

出典元:月刊バレーボール&月刊バスケットボール

“田臥・菊地・若月”というトリオを擁し、1996年~98年、高校3年間で9冠という前人未到の記録を打ち立てた能代工高。その時代に監督を務めたのが加藤三彦氏(西武文理大監督)だ。彼らが入学して何が変わったのか、相手に差を付けるためにどのようなプレーをしたのか、3人によるコンビネーションがどのようにして作られたのか…今だからこそ、全てを明かしてもらおう。そして、それを現在のバスケットボールに置き換え、チーム作りに役立つフィロソフィーとは何かを加藤氏は語った。

〈動画〉3人のコンビネーション

――まず、“田臥勇太・菊地勇樹・若月徹”という3人が能代工高に入学してきたとき、どのようなチーム作りを考えましたか?
「それまでは、ガードとセンターやガードとシューターといった2人のコンビネーションを主流にしていました。NBAでも2人のコンビネーションで勝つチームが多かったと思います。過去の能代工高もそうでした。
 それを2人から3人にしたのです。田臥、菊地、若月の3人はそれぞれの選手に持ち味があって、田臥は特に別格でした。ただ、この中で最も重要だったのは菊地で、190センチというサイズでシュートが上手でしたから。私は『選手の一番良い部分を出せばよい』という考えです。中学校時代はセンターでしたが、ハイポスト周辺のシュートは落としませんでした。3Pラインという決まった距離からのシュートは落とさないだろう…そう思っていましたね。だからインサイドでプレーしていた選手がアウトサイドへ出ていくというのは、全国的に見ても早かった方だと思います」

――今までの固定観念に捉われなかったということでしょうか? 発想が、あくまで相手に勝利するために考えていくというスタンスだったのですか?
「そのとおりです。20~30年前、映像がなくても試合のシュートチャートを記録していましたし、それも監督からの指示ではなく、選手同士でどのようにして戦うのかを話し合っていました。それがプレーの幅を広げていったのは間違いありません」

――『勝って当たり前』と言われた能代工高が、高校に入学して間もない3人をスターターで起用したことは、とても勇気が必要な決断でしたか?
「私は6、7番手の選手が最も重要だと今でも思っています。そうであれば、控えに1年生をもってくることはしませんよね。それに、その不足分を補うことができる2、3年の選手もいました。そういったことからも、1年生を3人起用したのはベストな布陣だと今でも考えています」

――どのチームでも2メンや3メンは練習していることが多いと思います。しかし、当時の能代工高は同じような決まりきった練習ではありませんでした。3人でプレーしていましたが、基本的な動きしか決まっていない…その部分を詳しく教えてください。
「例えば、田臥がボールを運び、菊地が左サイドを走り、若月がリバウンドから右サイドを走ったとします。田臥がインサイドの若月と2対2を仕掛けておきながら、反対サイドの菊地にパス。そこでシュートできなければ、若月がハイポストにフラッシュしてシュート…普通のことです(笑)」

――それは普通の3メンではありません!(笑)
「(笑)。さまざまな状況下におけるプライオリティーがどこにあるのかを選手たちが判断していた結果のプレーです。指導者が選手にプレーの形だけを教えても、実際の試合では成立しないのですから」

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