【内田雅也の追球】「時間」は生き続ける あの日、被災した街を歩いて(スポニチアネックス)

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出典元:スポニチアネックス

午前5時46分に祈りをささげ、散歩に出た。阪神・淡路大震災の追悼行事の一つで、参加申込に当選していた「1・17ひょうごメモリアルウォーク2021」は密を避けるため中止の連絡が届いていた。ならばと、自主的に被災地を歩いた。

 阪神・西宮駅に立ち寄った。「阪神間少年」として育った村上春樹が被災地を歩いた際に出発点とした所だ。震災当時、米国にいた作家は2年後の97年5月、望んでいた里帰りを果たした。

 <あの巨大な暴力が町から何を奪い、何を残していったのか、自分の目で見届けてみたかった>と『神戸まで歩く』=『辺境・近境』(新潮文庫)所収=にある。

 駅前に大時計がある。自由に飲食していた頃、周辺の居酒屋や焼き肉店、ラーメン店によく行った。素通りしていた針が今は目にしみる。西宮中央商店街のアーケードに掲げられていた大時計は激震に襲われた後から止まったままだ。

 商店街はモニュメントとして保存した。震災前の繁栄も、その後の復興も見守ってきた大時計である。止まったままの針が、動いている今を見つめている。

 あの震災で友人を亡くし、東日本大震災では被災者となった伊集院静が<生きよ、という声が聞こえる>と書いている。<それは別離した人たちの声である>。何のために? タイトルの『誰かを幸せにするために』(講談社)を思う。

 そして、時間は生き続けるという。亡くした愛犬の写真を前に<彼と私の時間は、私の中にも、彼の中にも生き続けるだろう>とある。

 大時計に手を合わせ、少し東に行くと、南北に通る札場筋と出会う。パチンコ店のある辺りに戦前、敷島劇場という映画館があった。

 タイガース草創期の大打者であり、剛球投手でもあった景浦将が通った映画館である。大道文(本名・田村大五)の『プロ野球豪傑伝』(ベースボール・マガジン社)に松山商後輩、武智修の話がある。「阪妻、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵……ほとんど見たんじゃないかな。西宮の敷島劇場、畳敷きの2階はいつもガラガラだった。その畳の上に景浦さんはゴロッと横になってチャンバラを見るんです。楽しそうだったな」。後に戦死する景浦がよみがえる。

 時間は生き続ける。魂とともに生き続けるのだ。伝統とはそういうものだろう。 =敬称略=

 (編集委員)

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