出典元:中日スポーツ
◇15日 米男子ゴルフ ソニー・オープン第2日(米ハワイ州、ワイアラエCC)
松山英樹(28)=レクサス=が65で回り、通算9アンダーで前日の23位から7位に急浮上。首位とは3打差に迫り、優勝争いに割って入った。通算12アンダーのトップは8つ伸ばしたニック・テーラー(カナダ)。ほかの日本勢5人のうち、通算5アンダーの小平智(31)=アドミラル=と通算4アンダーの木下稜介(29)=ハートランド=は決勝ラウンドに進んだが、金谷拓実(22)=東北福祉大4年、石川遼(29)=カシオ、香妻陣一朗(26)は予選落ちした。
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松山が突然爆発した。10番から開始し、小技のミスで11番から3連続ボギーをたたいた段階では予選落ちもちらついた。ところが、アウトでは別人のようなプレーを展開。3番からバーディーラッシュをかけ、最後の9番パー5は2オンに成功してイーグルで締めた。後半のハーフ28は、日米両ツアーを通して自己ベスト。20台も初めてだ。
きっかけは、キャディーの助言だ。14番あたりからショットに好感触をつかんでいたが、それでもパッティングの悩みは続いていたという。思い余って1番では大学の後輩でもある早藤将太キャディーに「握りをクロスハンドにしようかな」と相談。すると「やめといた方がいいと思います」といさめられ、思いとどまった。これで吹っ切れたのか、3番で4メートル、4番では11メートルが入った。
「早藤はいい判断だったんじゃないかな。あとはその流れで…」。6番2メートル、7番6メートル、8番は再び2メートルを決めて3連続。そして9番のイーグルにつなげた。
記録については普段から“終わったこと”としてあまり興味を示さない松山は、ハーフ28についても「出したことがあるかどうか分からない。別に何とも思わない」と素っ気ない。だが、予選落ち危機から一転、優勝争いに入ったことには「ちょっと心臓がついていけないっすね」と目の色を変えた。
ワイアラエは青木功が1983年のハワイアン・オープンで日本人男子として初めて米ツアー優勝を飾ったコース。松山は38年ぶりに歴史を上書きする可能性が出てきた。