【内田雅也の追球】橋を燃やすな(スポニチアネックス)

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出典元:スポニチアネックス

日米で時差はあるだろうが、きょう14日はジョー・ディマジオとマリリン・モンローが結婚した日である。ヤンキースの大スターと大女優は1954年1月14日、午後3時、サンフランシスコ市役所を訪れ、地裁検事の部屋で結婚式をあげた。出席者はディマジオの友人と3Aシールズ時代の監督フランク“レフティ”オドゥール夫妻だけ。式は5分ですんだ。

 

 駆けつけた報道陣の質問に答え、車で南に向かい、田舎町のモーテルに入った。部屋でディマジオが電話した相手が“キャピー”原田恒男だった。佐山和夫の『ディマジオとモンロー』(河出書房新社)に詳しい。2人はその後、新婚旅行で来日する。橋渡しを依頼され、日本での活動を手配したのが原田だった。

 

 日本人移民の子として米国で生まれ育った原田は戦後、GHQの中枢にいた。49年のシールズや51年のディマジオら全米チーム来日に深く関わった。佐山は<日本への新婚旅行を思いたったとき、この「橋」のことを思い出さないはずはなかった>と書いている。

 

 「橋」である。アメリカには直訳で「橋を燃やすな」ということわざがある。架けた橋を燃やしてしまうと、もう渡れない。人間関係の縁を大切にしろという教えだ。

 

 この表現を教えてくれたのはニューヨーク育ちの元阪神球団職員、本多達也だった。大リーグ・エンゼルス国際部長として上原浩治(当時大体大)獲得に動いていた98年秋、電話があった。内密に上原を渡米させ、アナハイム(エンゼルス本拠地)で試合観戦させて帰国したのだという。

 

 「こうしてメジャーリーグで働けるのも、上原が来てくれるのも人間関係、縁だよ。アメリカは個人主義と言うが、人のつながりは大切にする」

 

 当時、エンゼルスGMのビル・バベシが駆け出しだった当時からの交流が生きていると聞いた。上原争奪戦は巨人に敗れたが、本多の言いたいことは分かった。

 

 日本でも同じだ。藤沢周平に短編集『橋ものがたり』(実業之日本社)がある。『小ぬか雨』で橋を渡れなかった悲恋がある。『氷雨降る』では息子が父が築いた問屋との取引を切ってしまう。あとがきで<人と人が出会う橋、反対に人と人が別れる橋>という着想だったと書いている。

 

 野球界、特にフロント組で言える。橋をいかに架けるか、いかに渡るかである。 =敬称略=

 (編集委員)

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