「箱根駅伝11区」青学大で2年連続11番手だった新号健志が魂の力走 新チーム始動の学内記録会に特別参加(スポーツ報知)

出典元:スポーツ報知

「箱根駅伝11区」青学大で2年連続11番手だった新号健志が魂の力走 新チーム始動の学内記録会に特別参加

 第97回箱根駅伝(2、3日)で4位だった青学大は5日、第98回大会に向けて、新チームが始動した。相模原市のキャンパス内陸上競技場で5000メートルの学内記録会を行い、箱根駅伝出場メンバーから外れた選手が出走。例年、4年生は応援に回るが、11番目の選手として10区の控えだった新号健志(4年)が特別参加し、14分10秒9で3位になった。「箱根駅伝11区」を懸命に駆け抜けた新号に対し、原晋監督(53)は「魂の力走だった」と最大限の賛辞を送った。

 2年連続で青学大の11番手。血のにじむような努力を続けたが、4年間で一度も箱根駅伝に出場することができなかった新号は、箱根駅伝が終わった2日後の「箱根駅伝11区」を競技人生のラストレースとしてスタートラインに立った。新チーム始動の学内記録会は、例年、4年生は参加することがないが、新号は市川唯人とともに特別参加。主将の神林勇太ら同級生の応援を受け、400メートルトラック12周半を全力で駆けた。

 終盤、先頭に立つガッツを見せた新号は、不得意とするラストスパートで後輩2人に先着を許したが「区間3位」の力走だった。

 「原監督に『最後、走ってみないか?』と言ってもらって、参加を決めました。走る以上、後輩の刺激になるように走りました」。新号は充実した表情で話した。

 前回、新号は10区に登録されたが、当日変更で出出番がなくなった。代わって起用された湯原慶吾(当時2年、現3年)が優勝のゴールテープを切った。

 ラストシーズンの今季、新号は不退転の決意で臨んだ。故障が少なく、練習を継続できる男は、これまで以上に走り込んだ。夏合宿では練習をほぼ完璧にこなした。総合不動産会社「オープンハウス」への就職が内定した新号は箱根駅伝を区切りに競技の第一線を退くことを決めていた。集大成となる第97回箱根駅伝に向けて努力に努力を重ねた。

 昨年12月10日、順調に16人の登録メンバーに名を連ねた。同29日の区間登録では10区出陣を可能性を残して補欠に登録された。

 当初、原監督は10区に神林主将の起用を考えた。神林は今季、チームをリードし、学生トップクラスの実力を誇る。順調ならば3区を走る予定だったが、同28日に精密検査で右仙骨疲労骨折が発覚した。それでも原監督は、最後まで神林起用の可能性を探った。「肉体的、精神的にこのチームを支えたから神林に走ってもらいたかった。10区の最後、品川の新八ツ山橋で歩いたっていい。神林でダメなら、みんな納得できるはず」。しかし、指揮官の温情を断ったのは、他ならぬ神林本人だった。「そこまで信頼されてうれしかったけど、優勝を狙うチームとして、僕より走れる選手はいます。僕は走れません、と答えました」

 神林の直言に原監督は涙を流し、翻意。10区は新号と中倉啓敦(2年)が候補に残った。

 12月30日のチームミーティング。運命のメンバー発表。悩みに悩んで、原監督が10区に選んだランナーは中倉だった。

 原監督が発表した瞬間の出来事を神林は語る。

 「中倉の名前が呼ばれた時、新号は顔色ひとつ変えませんでした。新号が4年間、努力してきたことはチームの誰もが知っています。故障しないから、4年生の中で一番、練習で走ったと思います。それだけ努力したのに、出場メンバーに選ばれなかった。でも、がっかりした表情を全く見せなかった。その強いメンタルに驚いたし、感動しました」

 原監督の妻で寮母の美穂さん(53)も新号の態度に心を打たれ、涙した。「新号は潔かったですね。『惜しかったね』と声をかけたら『僕より中倉の方が強いです』と。新号、格好良かった」と目を潤ませながら話した。

 それから6日。「箱根駅伝11区」を力の限り走り終えた新号はメンバー発表の日の思いを明かした。

 「僕がふてくされたりしたら、チームの雰囲気が悪くなります。来年も再来年も必ず僕のように11番目の選手がいる。後輩に11番目の選手の見本を見せたかった。僕ができるのはそれくらいですから」

 新号はチームメートの前では普段通りに振る舞い、出場メンバーのサポートに徹した。だが、故郷の秋田で新号の晴れ舞台を待っていた父・和政さん(54)に出走できないことを伝えた時、ひとり泣いたという。

 和政さんは東海大時代に4度も箱根駅伝に出場した。1988年大会では2区4位と好走し、同期の盟友で1区を走った両角速監督(54)とタスキをつないだ経験を持つ。昨年はコロナ禍でかなわかったが、それまで、和政さんは小さなレースでも秋田から日帰りで上京し、新号のレースを見守り、応援していた(東海大が参加している時は、両角監督と歓談していた)。

 「父は、ずっと見守ってくれていたし、秋田から何度も応援に来てくれた。『箱根駅伝、走れなくて本当にごめん』と言ったら『4年間、よく頑張った』と言ってくれた…。泣いてしまいました」。新号は遠くの故郷を見るような目をして話した。

 普段は淡々としている新号は、この日、派手なガッツポーズをしてゴールラインを越えた。5000メートルを力の限り走りきった新号と市川を、美穂さんと4年生全員が笑顔で迎えた。

 神林勇太、吉田圭太、岩見秀哉、大蔵洋人、中山大樹、松葉慶太、森川弘康、鶴貝彪雅主務。留年して箱根駅伝に再挑戦しながらも5区で17位と失速して悔しい思いをした「実質5年生」の竹石尚人も、この日は、満面の笑みを見せていた。

 原監督の「大作戦シリーズ」は、いまや、学生3大駅伝恒例。今大会に向けて指揮官は「絆大作戦」を発令した。青学大の卒業生の間では、原監督が箱根駅伝で発令した大作戦名が、その年の4年生の「世代」の名称となっている。例えば、初優勝した2015年に4年生だった藤川拓也(現中国電力)らは「ワクワク世代」、2連覇した2016年に4年生だった神野大地(現セルソース)らは「ハッピー世代」。つまり、今季の神林らは「絆世代」となる。

 「優勝できなかったけど、絆大作戦は成功です。ただ、点数をつけるなら、優勝できなかったということで90点。残りの10点は社会人になった後、みんなで一生をかけて、積み重ねていってほしい」。原監督は、これからも、それぞれの「箱根駅伝11区」を走り続ける絆世代にエールを送った。

 往路は12位の大敗を喫したが、復路は意地の優勝を果たし、総合4位。まさに、山あり谷ありの箱根路の激闘が終わった今、原監督、美穂さん、神林、そして、新号は、極限の緊張感に包まれていたメンバー発表の2020年12月30日を語ってくれた。

 わずか6日前の出来事なのに昔のように感じた。(記者コラム・竹内 達朗)

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