【惜別球人】巨人・吉川大 「一度死んだ」PL球児の便利屋稼業(スポニチアネックス)

出典元:スポニチアネックス

出会いもあれば、別れもある。球界は別離と、新たな旅立ちの季節だ。楽天からドラフト1位で指名された155キロ左腕・早川隆久投手(22=早大)ら、育成選手も含めて新たに123人がプロの門を叩く。一方で、多くの選手がユニホームを脱ぎ、次なる人生をスタートさせる。年末恒例の「惜別球人」。今年は上下2回に分け、第1回はセ・リーグ編。

 2度戦力外になった男の表情はすがすがしかった。現役続行を模索した吉川大にオファーはなく、トライアウトから18日後、東京・大手町の球団事務所を手続きのため訪れた。「球団職員としてまたチームを支えていきたい」。来季からスコアラーに転身する。

 「1度目」は屈辱にまみれていた。10年ドラフト2位で中日に入団。立浪和義氏の背番号3を継承したが重圧に苦しみ、4年で戦力外通告を受けた。22歳だった。巨人入団が決まるまでの2週間。秋季キャンプ中のナゴヤ球場で、練習の邪魔にならないように早朝と夕方以降に黙々と汗を流した。チーム関係者から「球団の選手以外は使わないでくれ」と厳しい言葉を浴びせられたこともあったが、頭を下げて頼み込んだ。

 「一度死んだ身」と巨人では何でもやった。だから引退を決断できた。両打ちを断念して右打ちに専念。本職は内野ながら外野守備にも挑戦した。鈴木尚広氏の引退後は、代走の切り札の枠も狙った。

 16年末には「一番いい吉川になります」と言った。吉川尚がドラフト1位で入団し、日本ハムから吉川光がトレード移籍。吉川姓が一時3人になったからだが、二塁手争いに勝つことはできなかった。

 ファンフェスタではチアの衣装で踊る姿が印象的だった。「これからももしかしたらちょこっと出るかもしれないので、楽しみにしていてください」と笑い、第二の人生を歩み始めた。(神田 佑)

 ◆吉川 大幾(よしかわ・だいき)1992年(平4)8月21日生まれ、大阪府出身の28歳。PL学園から10年ドラフト2位で中日に入団。14年に戦力外通告を受け、同年に巨人に移籍。安定した守備力や、ムードメーカーとしても存在感を示した。1メートル75、78キロ。右投げ右打ち。

【広告】

娘が弾いていたピアノ。

私が弾けたらなー・・・

お任せください。



コメントは受け付けていません。