小川対古賀、平成の名勝負生んだ体重無差別の柔道全日本選手権(サンケイスポーツ)

出典元:サンケイスポーツ

【ベテラン記者コラム】

 かつて柔道で最高峰の大会といえば全日本選手権だった。その白眉は、山下泰裕と斉藤仁が、ともに五輪の金メダリストとして相まみえた1985年大会だろうか。

 体重無差別で日本一を決める大会には、「柔よく剛を制す」の理想を求め、重量級以外の選手も多く挑んできた。特筆されるのは1964年東京五輪の中量級を制した岡野功が優勝した67年と69年か。さすがにリアルタイムで知る年代ではない私としては、小川直也と古賀稔彦が決勝で対戦した90年大会が最も思い出に残る。私自身、全日本選手権初取材だった。

 前年の世界選手権で71キロ級を初めて制した古賀は、その年に改まった元号から後に「平成の三四郎」と呼ばれる。その挑戦は熱い注目を浴びた。

 4月29日の日本武道館には古賀への大声援がこだました。相手の重量級選手がかわいそうとも感じた私は、古賀が東京・世田谷学園高時代から団体戦で重量級選手に勝利を収めていたことは知っており、決勝進出は十分にあると期待していた。事実、自分の体重の倍はあろうかという相手に試合時間の8分間を攻め続け、4試合すべて判定で決勝まで勝ち上がった。

 決勝で対した小川は前年の世界選手権で無差別級を2連覇し、95キロ超級との2冠。その時点で世界最強の柔道家だった。

 のちに古賀氏に聞いたところ、「捕まれば負ける。いかに彼に柔道をさせずに戦うか」と臨んだ。だが7分過ぎ、小川に引き手を取られた際に疲れもあって「これは切らなくても大丈夫かな。まあいいか」という甘い考えが頭をよぎったという。直後、小川の足車で一回転。日本武道館の天井を見ながら「自分の甘さ、ふがいなさに涙が止まらなかった」。

 一方、最重量級として負けられない重圧を受けた小川は、初戦からフルに戦ってきた古賀を疲れさせて仕留める作戦だったと語っている。奥襟をつかんで相手の体力を消耗させ、試合の後半にしかけるのは小川本来の戦い方。面目躍如だった。

 古賀氏は「優勝を目指した小川と、『どこまでやれるか』という(挑戦する)気持ちの私とでは、目標とする場所が違っていた」とも話してくれた。勝負の奥深さを感じさせる一戦だった。

 世界のレベルが上がる中、昨今の全日本選手権は五輪や世界選手権の選考会の一つという位置づけになってしまった感があり、残念だ。それでも2016年リオデジャネイロ五輪73キロ級覇者の大野将平(28)=旭化成=が17年に挑戦するなど、柔道の理想に挑む若い世代もいる。コロナ禍で延期された今年は12月26日に講道館で開催。新たな名勝負が生まれることを心待ちしている。(只木信昭)

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