筒美京平さん、数々の昭和歌謡曲残し天国へ…表舞台を好まず“職人”の立場を最期まで(スポーツ報知)

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出典元:スポーツ報知

昭和の歌謡曲黄金期を支えた作曲家の筒美京平(つつみ・きょうへい、本名・渡辺栄吉=わたなべ・えいきち)さんが7日午後3時頃、誤嚥(ごえん)性肺炎のため都内の自宅で死去したことが12日、分かった。80歳だった。グループサウンズやアイドルなどに提供した作品は3000曲とも言われる。近年はパーキンソン病を患い、自宅療養を続けていた。葬儀は近親者のみ(喪主=妻・善子さん)で執り行い、お別れの会の予定は、現時点でない。(売上枚数はオリコン調べ)

 ポップス界最大のヒットメーカーとして数々の名曲を送り出した筒美さんが、ひっそりと天国へと旅立った。音楽出版事務所・日音によると、長年パーキンソン病を患い、自宅療養を続けていたという。葬儀は故人の遺志により、すでに近親者のみで執り行われた。表舞台に出ることを好まず“職人”としての立場を、最期まで貫いた。

 特に1970年代、80年代の音楽シーンは、筒美さんの楽曲がヒットチャートを席巻して時代を彩った。青学大経済学部を卒業後、洋楽ディレクターとして4年間のレコード会社勤務を経て独立。作曲家デビューから3年目の69年に「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)がミリオンヒットを記録し、日本レコード大賞作曲賞を受賞。最も多いときで月に45曲も制作し、生涯で3000曲を送り出したとも言われる。

 123・5万枚を売り上げ、最大のヒットとなった「魅せられて」(79年、ジュディ・オング)を始め、手掛けたジャンルは幅広い。洋楽がベースの洗練されたメロディーを持ち味に、自身の制作曲について「はやり曲」と称し、時代の流れを的確に捉えた。近藤真彦(56)の「スニーカーぶる~す」(80年)、松本伊代(55)の「センチメンタル・ジャーニー」(81年)、少年隊の「仮面舞踏会」(85年)と、多くのデビュー曲を手掛けるなど、80年代アイドルの代表曲は筒美作品で埋め尽くされた。

 69年にスタートした国民的アニメ「サザエさん」(フジ系、日曜・後6時30分)の「お魚くわえたドラ猫…」で有名なオープニングテーマも、筒美作品を代表する一曲。他に「また逢う日まで」(71年、尾崎紀世彦)など、ヒット曲は枚挙にいとまがない。

 07年には柴咲コウ、つんくら一流アーティストがトリビュートアルバムを発売するなど、筒美作品は年代世代を超えて親しまれ、作曲した作品の総売り上げは史上最多の7560・2万枚を誇る。03年には紫綬褒章を受章。晩年は闘病生活の影響もあり、19年「あなたの淋しさは、愛」(田所あずさ)が最後の作品となった。

 ◆筒美 京平(つつみ・きょうへい)本名・渡辺栄吉。1940年5月28日、東京都生まれ。日本グラモフォン(現ユニバーサルミュージック)退社後、66年「黄色いレモン」で作曲家デビュー。作曲したシングル総売り上げ7560・2万枚は歴代1位、編曲した同3747・1万枚は歴代4位。オリコンチャートでいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」(68年)で初1位を獲得して以降、TOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」(2003年)まで39作で1位を獲得。

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