「情熱に身を預けた」長池徳士氏が語る闘将と阪急初優勝~10・1西本幸雄氏生誕100年イベント開催(スポニチアネックス)

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出典元:スポニチアネックス

阪急、近鉄を率い、ともに球団初優勝に導いた名将・西本幸雄氏(2011年、91歳で他界)の生誕100年を記念したイベントが10月1日、京セラドーム大阪で開かれる。1967(昭和42)年、阪急が創立32年目で初優勝を決めた記念日に、球団を受け継ぐオリックスが企画した。当時、若き4番打者として活躍した長池徳士氏(76)に思い出を聞いた。

 雲の間から夕日が差していた。京都・西京極球場、超満員のスタンドが騒がしい。1967(昭和42)年10月1日の日曜日。東映とのダブルヘッダー第2試合、7回裏の攻撃に入ろうとした時、大歓声がわき上がり、五色のテープが舞った。大阪球場で西鉄が敗れ、優勝が決まったのだ。

 途中経過はベンチに伝えられていたはずだが僕は聞いていない。試合は8回終了で球審が日没コールドを宣言し、一塁ベンチ前で西本監督を囲んだ。ファンがなだれ込み、選手と一体となっての胴上げとなった。

 この後、僕も胴上げされた。まだ2年目の若造をチームもファンも認めてくれたのだとうれしく思った。後日、スポニチのカメラマンから頂いた胴上げ写真は宝物になった。

 開幕から突っ走り、首位を独走、初優勝への重圧などなかった。前夜は3点差を9回裏2死から逆転サヨナラ。マジック2として宿舎の京都旅行会館に帰ると、優勝とは無縁の年月を送っていた先輩たちの気持ちが高ぶっているのが分かった。

 シーズン中、足立光宏さん、米田哲也さん、石井茂雄さんらがよくケージ後方で僕の練習を見て、助言をくれた。若い後輩に勝利を託してくれていた。

 宙を舞った西本監督は人波をかき分け、バックネット裏球団室に向かい、小林米三オーナーと網を挟んで指を絡ませる不自由な握手を行った。オーナーと監督の強い絆を見た。

 前年の「信任投票事件」があったからだ。プロ1年目、5位に終わった66年のシーズン終了翌日(10月14日)、秋季練習開始前、西宮球場2階会議室に集合となった。紙と鉛筆が配られ、西本監督は「オレと一緒にやる気のある者は○をない者は×を書け」と命じた。新人だった僕は「なんだこれは? プロは毎年こんなことするのか」と意味がわからなかった。○を書いたが、なかには×や白票もあったそうだ。

 監督は「これではやってられない。辞めさせてもらう」と引き揚げてしまった。騒動となった。辞意に待ったをかけたのがオーナーで「阪急の監督は西本しかいない。何日かかっても説得しろ」と命じた。監督は辞意を撤回。10日後、オーナー直々に西宮球場に来られ練習再開となった。

 1年目の僕はオープン戦全試合で4番を打たせてもらったが安打は2本。開幕はスタメンだったが、後に2軍暮らしも経験した。とにかく必死だった。西本監督は延々と練習に付き合ってくれた。根気と熱意に心を打たれた。遠征先でも練習場所を探してきて朝から打ち込んだ。「楽して一人前になれんぞ」という言葉と情熱を信じ「この人に自分を預けよう」と思った。

 1年目のオフ「一緒にやる者は出てこい」と西宮球場三塁側スタンド下の室内練習場で自主練習が続いた。当時は球場近くの合宿所暮らしで真冬も連日足を運んだ。薄暗くて狭い室内は後に「西本道場」と呼ばれた。

 正月も休まなかった。年末年始は西明石で両親と一緒だった。契約金も使って建てた家だ。監督は「元日もやる」と話していたので行くと、本当に待っていた。道場の人数は徐々に増え、順番待ちで指導を受けた。

 優勝する2年目だったか、ある日、「手を見せろ」と言われ差し出すと感心したように見入っていた。監督は「ザクロのようやな」と言った。皮がむけ、中もひび割れ、血が赤い実のようだった。

 キャンプ地の高知でスナックの女性からブラジャーのパッドをもらったのは本当の話だ。あまりに手が痛むのでパッドを手袋に忍ばせた。ちょうどいいクッションになった。

 当時の阪急は「夜の勇者」などとありがたくない評判があった。西本監督は後に「長池がチームの体質を変えた」と言われた。後年、野球殿堂の投票用紙に僕の名前を書き「長池を評価すべきだ」と手紙も同封されていたと聞いた。身に余る光栄な言葉だ。

 現役時代も選手のプライドを大切にしてくれた。何年目だったか、優勝争いの試合で終盤8回、無死一、二塁で打席が回った。一塁コーチボックスに立つ監督を見てもサインが出ない。自分からタイムをかけて歩み寄り「バントしていいですか」と聞くと「おー、やってくれるか」とおっしゃった。

 晩年もよく宝塚のご自宅にお邪魔した。一番よく話に出たのは、やはり初優勝の昭和42年当時のことだった。(談=聞き手・内田 雅也)

 <10・1イベント「誇り高き闘将~西本幸雄メモリアルゲーム~」内容>

 ▼復刻ユニホーム 阪急初優勝の67年のホームユニホームを復刻させ、チーム全員が西本氏の背番号50を背負う。

 ▼特別始球式 西本氏の孫・大家正弘さん(38)が務める。

 ▼特別映像 試合前には場内の大型ビジョンで西本氏の当時の映像などを用いた特別ムービーを上映。

 ▼オンライントークショー 西本氏の教え子、山田久志氏、福本豊氏、加藤秀司氏が参加。京セラドーム内の別室でリモート対談し、当時を振り返る。公式YouTube「BsTV」で午後4時から30分配信予定。

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