【札幌】“サボり魔”エメルソンを周囲に認めさせた岡田監督の言葉…2000年J2制覇貢献、黄川田賢司氏が明かす(スポーツ報知)

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コンサドーレ札幌は2000年、31勝5分け4敗の圧倒的強さでJ2を制した。FWエメルソンが31得点、FW播戸竜二が15得点と新加入の2トップが爆発し、2年目の岡田武史監督を初のJ1舞台へと導いた。スーパーサブ的存在として2人の不在時を埋め、チーム4位の5得点を挙げた、現在Jリーグに勤務する黄川田賢司氏(45)が当時を振り返った。(構成・砂田 秀人)

 在籍4年目の00年、黄川田氏は1人の新外国人の存在に目を奪われた。

 「エメルソンが強烈だった。圧倒的な個の能力があり、キャンプからポテンシャルの高さは感じてた」

 黄川田氏の記憶に残る岡田監督の言葉が、エメルソンのすごさを物語っている。

 「エメは週明け、いつもどこかが痛いと言って練習を休み、週中の紅白戦辺りに復帰して、試合に出てた。周りの信頼もあまりなかった時、ミーティングで岡田さんが『選手としては許されないかもしれないが、俺は勝ちたい。どうしてもJ1に上がりたいからエメを使う。異論のある奴はいるか』と。誰も意見を言うことはなく、それを認めるようになった。人をきちんと見てアプローチする岡田さんにとっては、それがエメの取り扱いだったんでしょう」

 エメルソン、播戸の強力2トップがいたため、黄川田氏は30試合出場も先発は12試合。その中でも5得点を挙げ、Vの要因となった。

 「レギュラーを争う気持ちはもちろんあったが、チーム状況を考えて、与えられた時間で仕事をすることにはプライドを持っていた。覚えているのは第27戦の山形戦。エメが出場停止で僕が先発して得点を決めて1―0で勝った。主軸が抜けた状況下でも、結果を出すための準備は常にしてた」

 体を投げ出し、ひたむきにボールを追う。黄川田氏のスタイルが確立されたのもこの年だった。

 「プロ2年目辺りから無難なプレーをしがちになっていた。それが岡田さんにある日メンバーを外されて。『何で』と聞いたら『お前は何が得意なの。得意なプレーがなければただの下手くそ』って言われた。そこからは1年目の時のようにとにかく前に仕掛けて、ゴールに向かって頭から飛び込もうと。あの年に選手としての形が確立されましたね」

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