優勝旗を清水の街に…82年度選手権初Vの清水東、谷間世代が成し遂げた3度目の正直(スポーツ報知)

出典元:優勝した当時を振り返る県サッカー協会の膳亀技術委員長

1982年度の第61回全国選手権(83年1月1~8日)で初優勝を飾った清水東。準決勝まで4戦連続完封の堅守を誇り、全5試合で17得点1失点の快進撃で、藤枝東に続き県勢2校目の頂点に立った。GKとして貢献した膳亀信行・現県サッカー協会技術委員長(55)=科学技術高部長=に当時の思い出を聞いた。(取材・構成=里見 祐司)

 “3度目の正直”でようやくつかんだ頂点だった。清水東は、74年度、80年度と過去2度出場した全国選手権で、いずれも準優勝。それだけに、83年1月9日に行われた優勝パレードの光景は、膳亀氏の記憶にハッキリと残っている。清水勢初の選手権制覇。駅前の清水銀座は出迎えの市民で埋まった。

 「2年前の準優勝のときもたくさん来てくれたのですが、このときは清水の皆さんがすごく喜んでくれていたのを覚えています。歩いて商店街を進んでいたら、優勝カップを取られそうになったりして(笑い)」

 身長169センチ。GKとしては小柄だが、抜群の反応とポジショニングで1年時からレギュラーだった。戦歴も輝かしい。1、2年夏の全国総体(インターハイ)連覇。1年冬の全国選手権は準優勝だったが、3年秋の国体でも優勝した。

 「先輩たちがすごかったんです。なので1年時の選手権決勝で負けた(古河一に1●2)時は悔しかった。インターハイは危なげなく優勝していて力があった。下馬評も高く、優勝候補に挙げられていて『優勝するのが当たり前かな』なんて思っていた。3年生の先輩たちに申し訳なかったです」

 2年夏の全国総体で連覇。だが、主力だった3年生が引退してからは苦しんだ。選手権出場を決めたのは、同じ地元の清水商(現清水桜が丘)。メンバーが大幅に変わった新人戦は県大会1回戦敗退(興誠に0●1)。全国3連覇を目指した夏の総体も、県大会準々決勝で静岡に0―0の末、PK戦で敗れた。得点力不足だった。OBからは「(1学年下の)新チームに期待しよう」という声が聞こえてきたという。

 「上(沢入重雄、反町康治、望月達也)と下(長谷川健太、大榎克己、堀池巧)にスーパースターがいて、谷間の年と言われていたんです。後輩の3人組の力は素直に認めていましたが、3年の夏は、その力をうまく生かすことができなかった」

 だがチームワークが乱れることはなかった。進学校のため、例年は夏で引退する部員も多いが、この年は3年生13人のうち9人が残り、年明けの全国選手権に向け団結。夏合宿で得点パターンが確立し、「勝てる」と手応えを感じたという。

 「これだけ結果が出ないとチームがおかしくなるところですが、みんな仲が良く、まとまってました。期待されていないことで、逆に変なプレッシャーもなかった。(主力選手が)国体に行っている間も、残ったメンバーは一生懸命練習して力をつけていた」

 迎えた県選手権、準決勝でチームは清水商に5―0で快勝。東海大一との決勝では試合終了間際に同点ゴールが飛び出し、延長戦で勝利。“谷間の世代”が2年ぶりの切符をつかんだ。

 全国でも進撃は続いた。膳亀氏は全試合でスタメン出場。中津工(東九州・大分)に3―0、九州学院(西九州・熊本)に6―0と九州勢に連勝すると、習志野(千葉)にも3―0と、3戦連続完封の大活躍。

 「たまたまです。攻撃力があり、高い位置でボールを奪って攻めていたので、守る時間帯が少なかった」

 準決勝の相手は帝京(東京)。夏の全国総体王者だった。

 「国立競技場で相手は(地元代表の)帝京。注目度が上がるじゃないですか。チームには注目されると燃える選手が多かったんです」

 清水東が後半22分に先制ゴール。その後は猛反撃を受けるも、膳亀氏も仲間に負けじと好セーブを連発。DF陣も集中力を切らさず最後まで1点を守り切った。

 「センターバックのコンビがよかった。主将の浄見(哲士)は足が速くクレバー。梅ちゃん(梅田和男、現静岡城北高監督)は身体能力が高く、パワーのあるFWにも対応してくれた。片瀬(晴城、現清水桜が丘高監督)はボランチでバランスを取って守ってくれた。我の強い選手が多い中で、地味な仕事をして守備を支えてくれました」

 チーム一丸となって、強敵を撃破。翌日の決勝は勢いそのまま、青島秀幸のハットトリックなどで韮崎(山梨)に4―1で快勝した。全5試合で失ったのは決勝の1点のみ。「最高でした」と膳亀氏は振り返る。

 順大を卒業した87年、母校の監督に就任。10年の間には選手権に2度出場、91年に静岡で開催された全国総体決勝では、東海大一との同県対決を制し優勝した。

 現在、新型コロナの影響で休校が続き、部活も休止。全国総体も中止が決まった。自主トレしかできない選手たちに、県サッカー協会の技術委員長を務める膳亀氏がエールを送った。

 「先が見えなくて大変ですが、思い立ったことは全部実行してほしい。ネットで動画を引っ張り出してマネするとか。頭に浮かんだことを、何でも実行に移してほしいです」

 ◆膳亀 信行(ぜんがめ・のぶゆき)1964年5月27日、清水市(現静岡市清水区)生まれ。55歳。有度一小5年でサッカーを始め、6年からGK。清水七中―清水東高。1年時からレギュラーを務め、全国総体2度優勝。選手権は1年冬に2位、3年冬に優勝。順天堂大卒業後、清水東、富士東、静岡で監督を歴任。169センチ。既婚。

 ◆1982年度(82年4月~83年3月)の主なできごと 読売新聞朝刊の4コマ漫画「コボちゃん」連載開始。中森明菜がデビュー。サッカーW杯がスペインで開催(優勝はイタリア、日本はアジア1次予選敗退)。バラエティー番組「笑っていいとも」放送開始。日本シリーズで西武が24年ぶりの日本一。第1次中曽根内閣発足。映画「E.T.」公開。

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