池江璃花子、過酷スケジュールも6冠達成「泳げればいいんですよ」…担当記者が見た「GREAT」な感動(スポーツ報知)

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出典元:18年、アジア大会で6冠を達成してMVPに輝いた池江璃花子は、トロフィーを手に笑顔を見せる

あまたいる「GOOD」の中で「GREAT」と認められるのは、ほんのひと握り、いやひとつまみしかいない。その境界線をよく考える。2018年夏の池江璃花子は、「GREAT」の領域に確かに足を踏み入れかけていた。

 インドネシア・ジャカルタで行われたアジア大会で、女子として史上最多の6冠に輝いた。勝つのは大前提。当時18歳の女子高生スイマーの相手は、時計だけだった。

 アジア大会では毎回MVPを選定するが、この大会では当初スポンサーが見つからず、賞そのものが消滅していた。だが、池江の大活躍により、風向きが変わった。主催のアジア・オリンピック評議会が急きょ、MVPを制定したのである。一度帰国した池江は、自分のために復活した賞を受け取りに再びジャカルタへ戻った。「本当にアジアトップになれた実感がある。五輪まで長いようで短い2年間。母国で最高のパフォーマンスをしたい」。笑顔から自信が満ちあふれていた。

 6日間でリレーを含め8レースに出場した。ある日の帰り際、サブプールで一人クールダウンを終えた池江に偶然会った。薄暗いプールサイドを引き揚げる彼女の足取りはのしかかる疲労で重く、珍しく小さく見えた。「眠れなくて…きついです」。選手村にあるのは冷水シャワーだけで、蚊の襲撃もひっきりなし。近隣の生活音で昼寝も取れない。でも…、と続けた。「泳げればいいんですよ」。水の申し子らしく、レースになれば別人のように、タフに生き生きと泳いだ。

 6冠の他にリレーの銀が2つ。混合400メートルメドレーリレーでは、アンカーを務めた5歳年上の青木智美が逆転を許した。涙に暮れる先輩を抱き締め、「大丈夫だよ、智美さんのせいじゃない」と励ました。年齢を超えたリーダーとしての振る舞いも板についていた。

 定義は人それぞれだが、端的にいえば「GOOD」なプレーヤーは感心を、「GREAT」なプレーヤーは感動を呼ぶ。その泳ぎで心や事態を動かし、なかったはずの賞まで作らせた池江は明らかに後者である。今は時計ではなく病と闘う姿で、人々の心を動かす。

 あえて「踏み入れかけた」という表現にとどめたい。彼女の物語は現在進行形だからである。(太田 倫)

 ◆池江のアジア大会 日本の大黒柱として8種目に出場。個人では50メートル、100メートルのバタフライと自由形の計4種目、リレーでは女子400メートルと同メドレーリレーの2種目で金メダル。女子800メートルと混合400メートルメドレーリレーでは銀メダルに輝いた。6冠は、競泳の西側よしみが1970、74年大会でマークした日本勢の1大会最多記録5個を44年ぶりに塗り替え、アジア女子としても最多となった。

 ◆池江 璃花子(いけえ・りかこ)2000年7月4日、東京・江戸川区生まれ。19歳。淑徳巣鴨高を卒業し、日大に在学中。姉と兄の影響で3歳から水泳を始め、専門は自由形とバタフライ。15年世界選手権で14年ぶりの中学生代表になり、16年リオ五輪は日本勢最多の7種目に出場した。現在100メートルバタフライ(56秒08)をはじめ、リレー、短水路を合わせ18個の日本記録を保持。19年2月に白血病を公表した。

 ◆太田 倫(おおた・りん)1977年、青森県生まれ。42歳。横浜市立大から2000年入社。整理部などを経て、08年からプロ野球担当。ロッテ、横浜、巨人のほか、13年の第3回WBCなども取材。18年から五輪担当となり、主に水泳競技、スケートボード、空手などを担当。

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