壮絶に負け続けた関西・ダース/岡山(日刊スポーツ)

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甲子園で壮絶な敗戦を目の当たりにし続けた投手がいた。06年高校生ドラフト4巡目で日本ハムから指名されたダース・ローマシュ匡(たすく)投手。関西(岡山)時代の05年春夏、06年春夏と甲子園出場。その全ての試合が死闘と呼べるものだった。

  ◇   ◇   ◇

 最後の夏も、悔し涙だった。ダースはマウンドで膝から崩れ落ち、地面をたたいた。

 「野球ってどれだけ頑張ってどれだけ練習しても、1球で終わってしまう時がある。あっけなかったとは思います」

 06年夏の甲子園だった。文星芸大付(栃木)との1回戦で、背番号1のダースは6回途中から登板。7回の時点で5点差をつけていた。だが、8回に9-7まで詰め寄られると、9回2死から3連打。10-11。逆転サヨナラ負けを喫した。

 それまで3度聖地の土を踏んでいた男は、魔物がすむといわれる怖さを知っている1人である。

 初めての甲子園は2年生の05年春だった。1回戦で慶応(神奈川)に接戦の末7-8でサヨナラ負け。登板機会はなかった。しかし、ひょうが降りしきる極寒の中で、無念の敗戦は忘れていない。05年の夏は2回戦で京都外大西に最大6点差を逆転された。「投げたら打たれる。止まらなかった気がします」。2番手として2回途中から登板したダースは、8回に6連打を浴び6失点するなど、7回1/3で15安打10失点。打ち合いとなった一戦で敗者となった。

 迎えた最終学年の06年。春は2回戦で早実(東京)の斎藤佑樹(現日本ハム)との投げ合いとなった。関西が9回の土壇場で3点差を追いつくと、そこから互いに譲らず、延長15回でも決着はつかなかった。ダースは6回途中から158球を投げ、斎藤は231球完投。壮絶な投手戦だった。翌日に引き分け再試合が行われた。関西は8回に2ランで3-2と逆転。だが、直後に悲劇が待っていた。9回1死一塁から右翼手が後逸。打者も生還し逆転された一戦で、ダースの登板はなかった。そして夏も…。悲願の制覇はならなかった。

 4季連続で出場し、4季連続で劇的に敗れた。その甲子園までの道のりもまた、壮絶だった。ダースは2年の冬頃、インピンジメント症候群になり、そこから肩の痛みがついて回った。冬はノースローで、センバツがぶっつけ本番。センバツ後は再び試合に登板せず、またぶっつけ本番で夏の岡山大会を迎えた。「甲子園4回出てすごいね、と言われるけど地獄でした」。そんなダースを支えたのは、「関西のプライド」だった。05年春からダースが引退する06年夏まで、関西は岡山県大会、中国地区大会で公式戦無敗を続けた。「負けたらあかんと思っていました。(甲子園に)出なきゃいけないみたいな」。

 現在、兵庫・神戸市内にある「ダルビッシュ ミュージアム」で館長職を務める。ダルビッシュ有(現カブス)は日本ハム時代の先輩で、自主トレを共に行うなど交流があった。高校時代から10年以上たつが、ダースは多くの野球ファンの心に残っている。

 「僕を知っている人がいるということは得なこと。甲子園に出ていなかったら、やめたり、めげたりしていたことがあったかもしれない。つらいことがあったから、あの時よりは楽やなと思える」

 泣き崩れた過去も、今は笑って振り返ることが出来る。(敬称略)【磯綾乃】

▽05年春1回戦

関西100 101 310  7

慶応103 000 301X 8

【関】西所-平井【慶】中林-高橋

▽05年夏2回戦

京都外大西201 001 062 12

関西   130 141 000 10

【京】坂本、北岡、本田-南本【関】西所、ダース、中村-平井

▽06年春2回戦          

早実000 021 301

関西001 010 203

       000 000 7

       000 000 7

(延長15回引き分け)【早】斎藤-白川【関】中村、ダース-小原

▽06年春2回戦・再試合

早実001 010 002 4

関西000 000 120 3

【早】塚田、斎藤-白川【関】中村-小原

▽06年夏1回戦          

関西   030 010 501  10

文星芸大付000 022 034X 11

【関】中村、ダース-小原【文】藤本、佐藤-福田

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