【ラグリパWest】祇園祭の稚児の父。岡本淳平 [京ごふく おか善/代表取締役社長](ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン))

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出典元:ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン)

祇園祭は京都のみならず、日本の夏の風物詩である。3大祭りのひとつとして、大阪の天神祭、東京の神田祭と並ぶ。

 今年は3年ぶりに最大の見せ場である山鉾巡行が実施される。コロナをしのいだ。

 それをスタートさせるのは、神の使いとされる稚児(ちご)。主色の朱が鮮やかな長刀鉾(なぎなたぼこ)に乗り、注連縄(しめなわ)を切る。この鉾の高さは25メートル。列の先頭に定まっている。前祭(さきまつり)の巡行は7月17日である。

 その稚児役の父がトップレベルで楕円球を奪い合っていたのを知る人は少ない。岡本淳平の目じりは常に下がっている。
「こんな大役が回ってくるとは思っていませんでした」
 柔らかい物腰。180に近い体にたるみはない。肌は褐色。この46歳は男前だ。

 そのラグビーキャリアを閉じたのは15年前。現在は花園近鉄ライナーズと名前を変えたチームにおいてである。
「FW第3列の選手として、走攻守のバランスが取れていました」
 同じ年の吉村太一は語る。現在はチームディレクターに就いている。

 今、岡本は京呉服の製造や販売をする「おか善」の社長である。現役引退後、家業に入った。5年前、会長となった父・晃のあとを継ぎ、9代目になおる。その創業は200年以上前、江戸時代の寛政年間である。祇園祭は1200年ほど昔、平安時代に八坂神社による疫病退散として始まった。

 その由緒あるおか善が面する御池通(おいけどおり)をさらに由緒のある山鉾が西へ抜ける。商店には芸妓などの粋筋からも注文が入る。紫、青、緑、ピンクなど極彩色。京都の春の風物詩である「都をどり」にも協力をしている。お店にはすでに花街関係からお祝いの白い胡蝶蘭が届いている。

 稚児役は小5の長男・善太。その補佐をする禿(かむろ)の役の2人は、年子の次男・弦大(げんた)と彼らと幼なじみの村山一樹。兄弟はすでに京都プログレRFCでラグビーに興じている。岡本の子供は3人。一番上に中1の長女・七穂(なほ)がいる。

 稚児役は心づけやお礼、衣装など千万単位の費用がかかると言われている。
「質素にしようと思えばできます。あるものを使う、ということですね。ただし、相手さんに失礼のないようにしないといけません」
 岡本家が呉服屋というのも大きい。祭礼の間に着る和服も自前で整えられる。

「子供たちも本番モードに入りました。色々な話を聞いたり、資料や映像を見たりして、長男は『鳥肌が立ってきた』と言いました。びっくりすると同時にうれしかった。このお祭りがどんなにすごいことかを理解してくれているんやな、と思いました」

 その日常の中、岡本の胸には今でもラグビーの精神が息づいている。
「着物作りには絵を描いたり、染めたり、20から30の工程があり、それぞれ専門家がいます。ひとりですべてはできません。チームプレー。ラグビーと同じやな、と思います」
 祇園祭も稚児役や町衆だけではない。見物客も含め、みなで作り上げる。

 競技を始めたのは下鴨中。新任監督の吉本康伸がその才能に気づき、半ば強引に入部させた。高校は誘ってくれた天理に進む。3年間、冬の全国大会に出場し、花園の芝を踏む。2年からナンバーエイトでレギュラー。3年時の73回大会(1993年度)は2回戦敗退が残る。初優勝する相模台工(現・神奈川総合産業)に6-41と差をつけられた。

 大学は高校日本代表候補の肩書で明治に行った。入学後には「しぼり」と呼ばれた居残り練習を経験。1つ上の先輩と2人1組で腕立て伏せを最高4000回やらされた。

「風呂で手が上がらず、頭が洗えませんでした。でも今思えば、いい経験でした。あれ以上きついことはない。例えば仕事でクレームが来ても、顔に出さず、まずは、すみません、と言える。あの頃のおかげです」

 3年からフランカーで公式戦出場。大学選手権は入学から準優勝、連覇、準優勝。4年の34回大会(1997年度)は初優勝する関東学院に17-30で敗れた。

 高校、大学は最終学年で副将をつとめた。特に明治の時は監督の使途不明金などが明るみに出て、部内は混乱した。その中で主将だった田中澄憲(=きよのり、現・東京SGゼネラルマネージャー)を補佐し、チームを準優勝させた。上に立つ資質を備えている。

 卒業後はNTT東日本で社員選手になる。リーグワンの浦安の前身にあたる。フル代表の下に位置する日本選抜入りを経験する。家業を継ぐため、5年で京都に帰る。

 実家に戻ってから、バックローが手薄だった近鉄が勧誘に訪れる。そこで妻になる香織と出会う。チームトレーナーだった。
「個人のロッカーに自分でテーピングを巻く選手にはテープを置く。練習が終わればアイシングの氷がセットされていました」
 その気遣いにほれる。
「守ってあげたい、という思いがあります。これだけちゃんとしてくれていますから」
 岡本にとって配偶者はまた戦友でもある。

 6月11日には結納の儀が行われた。八坂神社と縁をつなぐ。様々な儀式が続き、来月13日には社参の儀がある。岡本は説明する。
「この日から稚児は神さまになり、移動は白馬にまたがるか、強力(ごうりき)さんの肩に乗ります。地面を歩けなくなるのです」
 前祭の山鉾巡行のあとも、後祭(あとまつり)が続き、7月の丸1か月、京都の街は祭礼ムード一色につつまれる。

 岡本はにぎわいの一方で家業を見る。
「呉服に明るい未来は待っていないかもしれません」
 斜陽かもしれないが、先祖とともに諦めなかったからこの栄誉が舞い降りて来た。そして、この国がある限り、着物文化はなくならない。人生において、二度とはない「熱い夏」を岡本は感無量の思いでもって迎える。

(文:鎮 勝也)

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