【阪神】茨城の偉大な先輩・豊田泰光さんを病院送りにした話…安藤統男の球界見聞録(スポーツ報知)

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出典元:スポーツ報知

私の左足のすねには今でも大きなアザが2つあります。“名誉の負傷”の跡です。中日で1970年から3年間プレーしたジョン・ミラーという選手をご存じですか。彼こそ、今でも私の左足に残る思い出を作ってくれた選手です。

 ところで、日本野球にアメリカ流の激しいスライディングを持ち込んだのは、巨人のウォーリー・与那嶺さんです。スパイクの甲で内野手のグラブを蹴ったり、肩で体当たりしたり。アメリカンフットボール仕込みの走塁は、おとなしかった日本野球を変えました。

 ミラーもそんな走塁をしてきました。それでなくても、併殺を阻止するためにベースではなく内野手に向かって走る走塁が当たり前だった時代です。私もその走塁の洗礼を受けました。6―4―3の併殺。遊撃手から送球を受けた私は一塁に送球します。ところが、一塁走者のミラーは私の体めがけてスパイクの歯を向けたスライディングをしてきます。その度にストッキングが破れ、流血しました。

 さすがに対策を考えます。走塁コーチをしていた中利夫さんに「あんなスライディングをするのなら、こちらも顔を目がけて投げますよ」と警告しました。

 それまでもラフプレーに耐えてきたのですが、ある試合でまたやられました。我慢も限界。その試合の後半、走ってきたミラーに向かってボールを投げました。よけなければ顔面に送球が当たるあわやのクロスプレーです。ところが、ミラーの体はそこにはありませんでした。何と、彼は私の送球をよけるために、一、二塁間の真ん中でスライディングして寝転んでいたのです。これでおあいこですね。

 併殺を巡る走者と二塁手の攻防。国鉄(現ヤクルト)戦では、私に向かって両手を挙げながら走ってきて併殺を防ごうとした走者がいました。豊田泰光さんです。豊田さんといえば、水戸商出身。郷里・茨城県の偉大な先輩です。しかし、ゲームになれば先輩も後輩もありません。豊田さんに「危ないですよ。送球が当たったらケガをしますからね」と忠告しました。すると、豊田さんは顔をゆがめてまくし立てました。「何だと? 若造が生意気に」。カッときましたが、反撃はしませんでした。

 その試合、再び同じようなシーンが起きました。豊田さんはまた両手を挙げて突っ込んできました。私はかまわず一塁に送球しました。しかし、運悪くそのボールは豊田さんの首筋に直撃しました。グラウンドにこん倒した豊田さんは病院に運ばれました。さすがに病院送りはまずい。翌日、マネジャーと2人でお見舞いに行きましたよ。

 慶大出身ということで、私に「ソフトなイメージ」を持っておられる方がいらっしゃるかもしれません。しかし、慶大OBには「球界の紳士」と呼ばれながら「瞬間湯沸かし器」という異名も持っていた藤田元司さんのような人もいます。私は藤田先輩系の慶大の血を引いているのかもしれません(笑い)。「県民性」の本を読むと、高校時代までを過ごした茨城県には“水戸の三ぽい”という言葉があり「怒りっぽい」「骨っぽい」「理屈っぽい」が県民性だそうです。慶大出身、茨城県民。どちらにしても、その血が流れているのでしょうか(笑い)。

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