頸髄損傷の大谷晋二郎、悪化予防の手術成功…執刀医「予定通りの処置は出来ました。順調です」(スポーツ報知)

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出典元:スポーツ報知

プロレス団体の「ZERO1」は10日の両国国技館大会で試合中の事故で救急搬送され、頚髄損傷と診断された大谷晋二郎(49)が今後の悪化を予防するための手術を行い、成功したと14日、発表した。

 この日、ZERO1は10日夜の緊急搬送後、気道確保を目的としたICU(集中治療室)に移動、専門医による検査の結果、頚髄損傷との診断を受けた大谷が13日に今後の悪化予防のための手術に臨んだと発表した。執刀医からは「予定通りの処置は出来ました。順調です」という報告があったという。

 病院では、新型コロナウィルス感染防止のため、主治医から家族、家族から団体に連絡を取る形をとっているが、本人の意識は安定しており、医師や家族と相談しながら治療に取り組んでいる状況という。

 大谷は10日、両国国技館で行われた同団体の旗揚げ記念興行「押忍PREMIUM PROWRESTLING SHOW ZERO1旗揚げ20&21周年記念大会」のメインイベントで15分過ぎ、相手選手の投げっぱなしジャーマンスープレックスで後頭部をコーナーマットに打ち付け、そのまま仰向けになった状態で全身が動かなくなった。レフェリーは試合をストップ。16分44秒、レフェリーストップで大谷は敗れた。

 試合直後に団体は救急出動を要請。動かない大谷に対し、リングドクターの林督元医師が呼びかけるなど応急措置を施した。さらに、選手、スタッフらが囲み、仰向けになったままの大谷を心配そうに見守るファンがリングサイドで立ち尽くす事態となった。その後、救急隊が到着。リングからストレッチャーに乗せられ、救急車で都内の病院に搬送された。

 大谷は、1972年7月21日、山口県山口市出身。1992年2月に新日本プロレスに入門。同年6月25日の福島市体育館の山本広吉(現・天山広吉)戦でデビューした。97年にはIWGPジュニア王座を奪取するなど新日本のスター選手の仲間入りを果たしたが、2001年に新日本を離脱し、橋本真也さんが設立したZERO―ONEへ移籍。以後、同団体の看板選手として団体だけでなく様々な団体に参戦し、活躍している。

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