【ラグリパWest】チームをつなぐ。竹内圭介[目黒学院高校監督](ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン))

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出典元:ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン)

武庫川は西宮の東を青く流れる。
 そのほとりに報徳学園がある。私用で来校した竹内圭介には思い出がよみがえる。
「小学校の頃、この辺りに住んでいました」
 阪神間の生活から35年ほどが過ぎた。今は目黒学院の監督。101回目の全国大会にチームを率いた。2年連続の出場になる。

 竹内は端正な顔を緩めて、大昔を振り返る。
「朝礼は六甲おろしの大合唱。僕だけが巨人ファンで、あとはみんな阪神でした」
 オレンジは埋没し、黄一色。住んでいたマンションには甲子園球場の照明が届いた。

「でもみんないいやつで、吉竹さんの下敷きをくれたりしました」
 吉竹春樹。外野のバイプレーヤーとして阪神や西武で活躍した。同級生たちは野球を見慣れていた。通好みが多かった。

 物心ついたのは大阪の茨木。小学校入学時に西宮に引っ越した。小2から甲子園チビッ子ラガーズクラブでラグビーを始めた。大手ゼネコンに勤務していた父・克太(かつた)は山口大津(現・大津緑洋)のOBだった。

 小6で横浜に転校する。
「東京には負けへんで、という気持ちで行ったけど、何もかも都会でした。初めて、阪神と巨人以外のチームがあることを知りました」
 湘南学園ではサッカーをやった。漫画『キャプテン翼』の世代。中2終わりには鎌倉ラグビースクールとかけ持ちをした。

 高校はラグビーに軸足を置き、東京にある目黒学院を選んだ。当時の名称は目黒。大学は東洋大に進む。SOだった。卒業後、一般企業で働いたが、監督である幡鎌孝彦(はたかま・たかひこ)が母校に呼び戻してくれる。情報科の教員としてその2003年からコーチ。14年後、幡鎌の定年とともに監督に就いた。

「プレッシャーはありますが、こんなチームで監督をさせてもらえる誇りもあります」
 目黒学院は高校ラグビー史上に燦然と輝く。創部は1959年(昭和34)。全国大会における優勝は5回。歴代5位。準優勝も同数ある。

 60年代終わりから80年代初めにかけ、幡鎌の恩師である梅木恒明が監督としてこの偉業を成した。朝5時から始まる猛練習や明大の八幡山で繰り広げられた國學院久我山との勝つまで終わらない試合がその底にはある。当時の久我山監督、中村誠は梅木の日体大の同期だった。

 目黒学院はこの101回大会で20回目の出場となった。指導を含め、私生活でも歌手としてレコードを出すなど破天荒だった梅木の退任後、幡鎌が2回、竹内が3回、花園に出した。ただ、最後の優勝は1979年度だった。

 学校は現状打開の狙いもあって、留学生の受け入れを決める。竹内は覚えている。
「私が最初にトンガに行きました」
 併設する中学からの留学第一号になったのはサミソニ・アサエリ。リーグワン・東芝のHOは2012年に来日。テビタ・タタフとアタアタ・モエアキオラが続く。サントリーのNO8と神戸のWTB。日本代表キャップは9と4を数える。

 この大会も突破力のある2人の留学生が軸になった。右PRの位置に入ったシオネ・ポルテレとWTBのイライシア・サーフ。花園では連勝する。山形中央を40-3、飯田を38-0で降した。3回戦ではAシードの東福岡に12-67と差をつけられた。

「東福岡は強かったです。特にパワーとスピード。まだまだ差がある。あんなにまくられることは都内ではありません」

 その敗戦では10トライを奪われたが、選手たちはトライ後のゴールキックに対して、チャージをかけ続けた。
「わずか2点でも食い止めようということでしょう。先輩がやってきたことを引き継いでいると思います」
 伝統は途切れない。

 竹内はこの代でチーム改革を行った。7人のリーダーを任命。主将のCTB新澤迅太(しんざわ・じんた)や2年生2人を含むユニットに練習メニューを決めさせ、取り組ませた。

「トップダウンは限界を感じています。ボトムアップなら、部員たちが自分たちで気づいてやる。浸透度は早いと思います」

 梅木のトップダウン、竹内の選手主体。指導方針は違っても、チームは存続する。「進化論」を唱えたダーウィンの言葉がある。

<強いもの、賢いものが生き残るのではない。変化できるものが生き残るのだ>

 時代の移ろいの中でもジャージーは不変。エンジで左胸に黄色字で「目黒」と入る。
「実はスクールカラーは紫紺なのですが、全国に初めて出た時に新調したところ、手違いでエンジが送られてきたらしいのです」
 作り直しの時間がなく、そのまま着用した。その47回大会(1968年)で初出場準優勝する。福岡電波(現・福工大城東)に5-11。そして、この色が正式になった。
「変えたいとも思わないし、変えられません」

 全国大会前にはうれしいニュースが飛び込んで来た。母校・東洋大が関東リーグ戦1部に昇格した。1993年以来29年ぶり。中大を26-21で降した。
「監督の福永は同期で、彼が主将、僕はBKリーダーでした」
 三洋電機(現・埼玉)でLOとして活躍した福永昇三の奮闘は励みになる。

 竹内は言う。
「日本一を獲りたいです。たとえ獲れたところで、それは最高タイでしかありません。でももう一度そこに近づきたい」
 エンジの王朝を再びー。2022年度、指導者としての挑戦がまた始まる。

(文:鎮 勝也)

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