【ラグビー】タックルマン石塚武生の青春日記(14)(ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン))

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出典元:ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン)

1976(昭和51)年、順風満帆だった石塚武生さんのラグビー人生が暗転する。
 <この年は、自分の人生にとって、もっともどん底の年だった>。石塚さんは古びたラグビーノートにそう、書いた。リコー入社2年目の23歳。こう続く。

<同時に自分の生き方というのを決定づけた年だったのである。自分はいつの日からか、ラグビー一色の生活をしてきた。一日一日の生活のサイクルをラグビーのためにと思い込んでいた。そんな悲壮感にあふれていた。もちろん、仕事とラグビーを両立しなければいけない。仕事の後、遊びにも飲みにもいかないで、ラグビーに集中していた。そんな時>

 世相をいえば、アメリカでロッキード事件が発覚し、国内では東京地検特捜部が田中角栄前首相を逮捕した。ヒット曲が、子門真人の『およげ!たいやきくん』、太田裕美の『木綿のハンカチーフ』、そして中村雅俊の『俺たちの旅』。そんな時代だ。

 石塚さんはリコー入社1年目の秋には日本代表のフランカーとして、“赤い悪魔”の異名をとったウエールズ代表戦(●6-82)に出場し、快足ウイングのJ・J・ウィリアムズに猛タックルを浴びせた。九州の田舎の筆者など多くの若者を感動させた。

 だが、この年の3月、石塚さんは日本代表のフランカーとして来日したニュージーランド学生選抜戦に出場し、パワーで圧倒されて大敗(●6-44)を喫した。そこで日本代表の強化の方針は大型化に傾き、170センチ、75キロのタックルマンは試合の3日後に発表されたカナダ遠征のメンバーから漏れてしまった。

 どんなトップチームも同じだろうが、日本を代表する才能とて、常に淘汰は待ち構える。そのストレスたるや。石塚さんは自身の選考漏れを発表の前日、会社の仕事中に知った。その時の状況をこう述懐した。
<信じられなかった。悔しかった。目の前が真っ暗になった。初めてジャパンに選ばれて以来、一日のすべて、いや、1分1秒たりとも、ジャパンの誇りと自覚を忘れることなく生活してきた。友人との付き合いもなく、彼女もなく、リコーの社員として仕事にもまじめに取り組み、そして練習、練習に明け暮れた。なぜ、おれが。なぜ…。会社のトイレに駆け込み、“これから、いったいどうしたらいいのだろうか”と考えると、涙がどんどんこぼれてきた。そして、夜まで、ただボーっとしていた>

 石塚さんはその夜、ショックで眠ることができなかった。翌日の新聞発表までには気持ちを切り替えなければいけない。周りからの同情ほど恥ずかしいことはない。<自分のみじめな姿を想像するとまた涙が出てきた>とも書いている。

<ヨシっ、みんなに元気づけられたら“ハイッ、またイチからやり直してがんばります”と言えるように気持ちを立て直しておこうと思った。そして、また、ジャパン復帰の希望を持って力いっぱい練習しようという気持ちになった。しかし、内心はどこかで暗さがあったのだが>

 こういう時は原点回帰である。石塚さんは仕事の合間、東伏見の早大ラグビー部の後輩たちの練習をのぞきにいっている。また、それまでオフには自主トレに励んでいた小田原の大雄山という山の寺に行って、ひとりで長い階段を上り下りし、ひとりっきりでもの思いにふけった。修行僧のごときか。そして海に出て、ただ大海原をみつめもした。

<自分の心の狭さを感じた。ひとりで考え、ひとりで前進していくことしか考えてはいけないのだと思った>

 気負いが裏目に出る。リコーでの練習も<ふざけるな>という気持ちで走っていたと述懐している。おれが、おれが…。<おれを落としやがって>との反発心がつのる。5月16日の慶応大学との練習試合でのことだ。石塚さんはパスせずに強引に突っ込んでいって、右足のすねを強打してしまった。激痛が走る。<足がバラバラになったようだ。ふくらはぎが太ももぐらいにはれ上がった>と書いた。右足すねの複雑骨折だった。

 それから45年。ことしの師走5日の早明戦。秩父宮ラグビー場で、その試合にセンターで出場していた水谷眞さんに話をうかがった。いつもネクタイ姿で忙しそうに駆け回っている。ラグビー界のレジェンド、人のいい関東ラグビー協会元理事長。「石塚さんの骨折は?」と聞けば、76歳は「あぁ、覚えているよ」と深いため息をついた。

<(当時30歳の)おれも、まだ試合に出ていたんだ。骨折した瞬間、石塚は、“おれの人生終わった”ぐらいの感じで叫んでさ。あのやろう、なんでそこまで考えるのか、ってびっくりしたものだ>

 悪夢だった。5月18日。石塚さんは24歳の誕生日を病院のベッドの上で過ごした。手術を受け、約1か月後、リハビリのトレーニングが始まった。懸垂、腕立て伏せ、腹筋運動。松葉杖を使わずに、左足だけで跳びながら病院での階段上りをつづけた。焦りがあったからだろう、伊豆下田でひとりリハビリトレに取り組み、無理矢理に砂浜を走り、階段を上ったら、再び、骨折してしまった。

 再手術は、腰の骨を数センチ削って折れた右足に埋めるものだった。全身麻酔だったが、石塚さんは痛くて涙を流したそうだ。それから10カ月間、ギブスを付ける羽目になった。今度は慎重にリハビリに取り組んだ。

 過酷な月日が流れた。
 1978(昭和53)年の夏、練習試合の大怪我から、2年ほどが過ぎた。石塚さんはこう、振り返っている。
<長い年月だった。その間、私は一度も日本代表の試合を見なかった。そしてリコーの練習にも参加せず、ひたすら個人で復活を目指したのである>

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