【ラグリパWest】赤い旋風。田村誠[トヨタ自動車/豊田自動織機元監督](ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン))

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出典元:ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン)

優と熙の父である。
 田村誠。
 日本代表の長男はとりわけその名を響かせているが、帝京OBのこの父もまたラグビー界において歴史を作った。

 母校は(2009年度から)大学選手権9連覇。11月3日には早稲田を29-22で降し、対抗戦5連勝とする。4大会ぶりの学生日本一に向け、前進した。

 その帝京の初の大学選手権出場は1983年。父は38年前、主将、そしてセンターとしてチームの中心にいた。

「勝ちたい思いが強かったですね。ひとつ上の学年も強かったけれど、選手権に出られなかった。そんな思いも背負ってやりました」

 分岐点は早稲田戦。父は23-19で初勝利する。10月30日。完全アウエーの東京は東伏見。赤黒の本拠地はまだ上井草ではない。帝京の創部は1970年(昭和45)。8年後に対抗戦に加盟。ここまで5連敗。前年、1982年は17-34だった。

「すごい人でした。西武の東伏見の駅は人でいっぱい。グラウンドは立ち見の列が何重にも取り巻いて、外が見えませんでした」

 早稲田は日本代表だったフルバックの安田真人(まひと)が欠場していた不利もあった。
「ウエールズ遠征で顎を骨折したはずです」
 この試合の8日前、日本代表はカーディフでのテストマッチに臨み、24-29と善戦する。

 帝京はメンバーが集まる。父をセンターに下げた渡部監祥がスタンドオフ。司令塔は2枚になる。快速ウイングの鬼沢淳もいた。
「ヘッドダッシュだけで1時間。よく練習しましたもん」
 蹴られたボールを数人でつなぎ、ゴールラインを駆け抜ける練習を延々とこなした。揃いだした才能に磨きがかかる。

 監督は水上茂。早稲田OBである。
「増村先生が早稲田の人たちと仲が良かったようでした」
 増村昭策は名誉顧問。監督や部長も経験する。1996年、滋賀・八幡工の監督である岩出雅之を監督に招く。日体大の後輩だった。

 父はその早稲田からの勝利を評する。
「恩返しですよね」
 初期の帝京はラグビー先進校だった早稲田に助力を仰いだ。監督をつとめ、日本ラグビー協会の専務理事になる白井善三郎や梅井良治らの名前が挙がる。

 当時の対抗戦は総当たり戦ではない。定期戦が優先され、新興校が試合を組んでもらうには承認が必要だった。帝京と慶應の対戦は1996年までない。翌年、対抗戦がAとBの二部制になり、総当たり戦が実施される。

「当時は早明、そして日体のどれかに勝たないと大学選手権には出られませんでした。慶應との試合はなかったわけですから」

 大学選手権は8校制。関東の出場枠は4。対抗戦とリーグ戦の4位までがたすきがけで戦う交流試合で出場校を決めていた。帝京は対抗戦4位。早稲田を破った勢いでリーグ戦1位の法政を13-10で破る。
「満足でした」
 20回目の大学選手権に初出場を決める。深紅のジャージーから「赤い旋風」と呼ばれた。

 その快進撃も大学選手権で止まる。初戦で同志社に4-31で敗れた。
「強いっすもん」
 関西の雄は3連覇の2年目。ロックに父の同級生の大八木淳史、センターに平尾誠二を擁していた。2人とも日本代表だった。

 父はトヨタ自動車に入社する。スタンドオフとして日本代表候補。1998年から3季、2002年から5季、それぞれ監督と部長をつとめた。2008年から8季、出向して豊田自動織機で監督をする。サンウルブズの初代GMやワールドカップの組織委員会にも入った。

「ラグビー部の部長は専任だったので、2007年の1年を除いて、20年ほどラグビーに携われました。会社には感謝しています」

 競技を始めたのは國學院久我山に入学後。高3時の59回全国大会は準優勝。目黒(現・目黒学院)にサヨナラトライを許した。14-16の決勝戦は語り草になっている。

 進路を決める頃、足首を骨折した。希望する大学はあったが、監督の中村誠に言われた。
「帝京にしておけ」
 恩師の言葉通りに大学に進み、歴史を作り、妻になる真奈美に出会う。

 今、母校はこの国屈指の強豪になった。大学選手権の出場は22大会連続28回となる。
「岩出先生は素晴らしい。大学は毎年、選手が変わる。その中で9連覇を達成された。本当に感謝しかありません」

 父は10月30日に60歳の誕生日を迎え、翌31日に定年を迎えた。引き続き、再雇用を受け、スポーツ強化・地域貢献部で働く。ラグビーを含め野球やバスケットボールなどの強化のためにアドバイスを送る。

 長男の優は来年1月で33歳。キヤノン、そして日本代表のスタンドオフとして67キャップを持つ。11月6日のアイルランド戦には先発した。次男の熙は28歳。サントリーでスタンドオフとセンターをこなす。

「ラグビーってひとりでは何もできないスポーツです。周りの人、コーチやメディカルや仲間、そして家族なんかを巻き込みます。だからこそ、2人には周囲への感謝を忘れないように生きてもらえたらと思います」

 自分もそうやって、赤い旋風を起こせた。そして、還暦。子供たちも満足の人生を歩んでほしい。男親の強い思いがそこにはある。

(文:鎮 勝也)

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