東関親方「母親を楽に」中学卒業後に各界入り…親しまれた不屈の男が天国へ(スポーツ報知)

出典元:2007年の大相撲九州場所で5場所ぶりに勝ち越しを決めた東関親方

大相撲の元幕内潮丸の東関親方(本名佐野元泰=さの・もとやす)が13日午後9時52分、血管肉腫のために東京都葛飾区の東関部屋で死去した。41歳。静岡県出身。体調を崩し、昨年11月の九州場所から休場して治療していた。静岡市生まれで、安倍川中卒業後に角界入り。1994年に初土俵を踏んで、2002年初場所で新十両へ。最高位前頭10枚目まで昇進。かつての3人の担当記者が早すぎる死を悼んだ。

 東関親方は静岡市出身で、安倍川中野球部の4番として活躍した。経験はなかったが、授業で強かった柔道部から勧誘があったこともあり、当初は高校に進学するつもりだった。だが、母に育てられた佐野少年は「母親を楽にしてあげたい」と、中学卒業してすぐ元関脇・高見山が師匠だった東関部屋に入門した。

 1994年春場所で初土俵を踏んだ。下積み時代は、相撲ブーム全盛。若貴の最大のライバル、元横綱・曙の付け人を務めた。2002年初場所で新十両。同年7月には12勝3敗で十両優勝を果たした。176センチ、169キロのあんこ型力士で、「ウッシー」の愛称でも親しまれた。

 新入幕場所で勝ち越したが、その後は、度重なるひざの故障に悩まされ、幕内と十両を行ったり来たり。05年には2度幕下に落ちた。そこから不屈の闘志で十両復帰。09年夏場所を最後に引退した。年寄・小野川を襲名。同年6月に前代の東関親方の定年に伴い、年寄・東関に名跡を変更した。

 先代の東関親方と懇意にして、当時15歳だった佐野少年を相撲の世界にスカウトした富士スポーツの藤岡敏和さん(68)は「最初は相撲界に入るのを嫌がっていた。お母さんを助けたいと思いが強かったんだと思う」と当時について振り返る。「きのう、意識のあるうちに会えた。でも、本当に残念」と、しんみりしていた。

 【担当記者が悼む】

 ◆納豆ダイエット「だまされたー」

 支度部屋での潮丸さんの笑顔に何度も救われた。本場所中、力士たちはピリピリしている。勝負の後、記者はここで話を聞く。負けた力士には聞きにくい。全くしゃべらない人もいる。しかし、潮丸さんはどんな時でも、笑顔を交えて誠実に答えてくれた。

 07年初場所。テレビのバラエティー番組で納豆によるダイエット効果が放送された。潮丸さんは初日にその番組を見て、すぐ実行した。しかし、14日目に、放送内容に虚偽のデータが含まれていた、いわゆる“やらせ”疑惑が浮上した。千秋楽、自己最多タイ(当時)となる9勝目を挙げて戻った支度部屋で、「だまされたー」と、話し出した。「納豆パックを40個を買いだめ。場所中、1日3パックほど食べたのに…。お金を返してほしいよ。2000円くらいですけど」。もちろん笑顔だった。

 引退後、審判で座っている時は上体を少し傾けて、鋭い視線を土俵に送る姿が印象的だった。真剣な表情と人懐っこい笑顔、もう見られないのは、悲しい。(02~11年担当・伊藤 和範)

 ◆リハビリ中カラオケで気分転換

 愛くるしい笑顔を、もう見られないのが寂しい。潮丸さんが、静岡出身力士として9年ぶりに十両に昇進した02年初場所。静岡はちょっとした相撲フィーバーだった。「潮丸担当」を任されたが、県内を中心に取材してきた記者にとって、大相撲のしきたりはまったく分からない。助けてくれたのは、ほかならぬ潮丸さんだった。支度部屋の取材では、ほかの力士の邪魔にならないように、いつも気を配ってくれた。

 2004年春場所に右膝を負傷。静岡市内のホテルでリハビリ生活を送っていた。動けない体でストレスがたまっていたのだろう。潮丸さんから電話が入った。「何か、差し入れ持ってきてくださいよ」。家に作ってあったおでんを鍋に入れて向かった。笑顔で迎えてくれると、おいしそうにおでんをほおばった。大好きなカラオケが用意されていて、一緒に行った私の妻と気持ち良さそうにデュエットしていた姿は忘れられない。

 親方になってからは、取材に行く機会が減った。4、5年前だったか、静岡の高校生が東関部屋に入るいう噂を聞いて久々に電話した。その際、「たまには、顔出してよ」と言われたのに。実現出来なかったのが、今では後悔でしかない。(静岡支局・塩沢 武士)

 ◆誇らしい顔見せ新東関部屋案内

 まだ信じられない。私より6歳年上。親方衆の中では年齢が近いこともあり、飲みに誘っていただくなど、かわいがってもらった。2軒目以降はカラオケができる店に行くのが基本というほどの歌好き。レパートリーは幅広い。伸びのある歌声は、店内の全員を静かに聞き入らせるほどだった。

 16年初場所限りで相撲担当を離れてからも、気にかけていただいた。体調を崩し入院していると耳にした。今年の夏前だっただろうか。LINEで近況を尋ねると「何とか治療を頑張っています。もう少しかかると思いますが続けて頑張ります! 待ってて。また食事でも」と返信をくれた。また元気な姿を見られると思っていた。残念でならない。昨年初場所後には東京・柴又に東関部屋を移転した。5月頃、訪ねると、自宅や関取用の個室などがある2階に通してくれた。「ここが関取の部屋になるんだ。いい感じだろ?」などと真新しい部屋の設備を案内する姿は、どこか誇らしげだった。2部屋用意した関取部屋に入る力士を育てることを夢見ていた。まだ41歳。あまりにも早すぎる。(10~16年担当・三須 慶太)

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