平成の高校野球、勢力図の変化の裏に“世相”あり。「報知高校野球」編集長が分析(スポーツ報知)

出典元:2018年夏の甲子園で応援団席にあいさつに向かう金足農ナイン

昭和が終わるまでに春または夏、全国制覇した都府県は26。平成の30年間、今年のセンバツまで甲子園61大会で新たに7道県へ大優勝旗が渡った。

【写真】夏の甲子園100回大会の「レジェンド始球式」に登場した板東英二氏

 平成に入って最初に初優勝を果たしたのは、佐賀県だった。平成6(1994)年夏の決勝は、どちらも県勢初Vを懸けた佐賀商と樟南(鹿児島)との史上初の九州対決。同点の9回2死、佐賀商の2番・西原正勝主将が満塁本塁打を放ち、福岡真一郎と田村恵(元・広島)の樟南バッテリーを撃破した。

 当時、既に崩壊していたものの、バブル景気を経て4年制大学への進学率は年々上昇中だった。高校は商業や工業よりも普通科志向が高まり、統廃合、単位制や総合学科への移行により商業、工業、水産、実業の付いた校名は減少の一途をたどっていく。樟南も、この年の4月に鹿児島商工から校名変更したばかりだった。

 大正から昭和にかけて商業は、春夏合わせて50大会で優勝している。だが、平成での商業Vは2大会だけで、佐賀商の初優勝から2年後の平成8(1996)年夏に“奇跡のバックホーム”で熊本工(熊本)を破った松山商(愛媛)が最後。

 ちなみに工業の全国制覇は、昭和40(1965)年夏の三池工(福岡)と昭和43(1968)年春の大宮工(埼玉)の2校だけ。熊本勢の優勝も昭和33(1958)年春の済々黌のみ。松山商の“奇跡のバックホーム”は、平成の工業Vも、熊本勢の夏初Vも消し去った。

【広告】



コメントは受け付けていません。