高橋尚子さん、小出監督は最後まで気遣いの人「笑ってまつり歌って見送って」(スポーツ報知)

出典元:目に涙を浮かべ、小出氏との思い出を語る高橋尚子さん

2000年シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子さん(46)が、24日に80歳で亡くなった恩師の小出義雄さんへの思いを語った。26日に「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン」(28日開催)の会場である岐阜・長良川陸上競技場で取材に応じた。生前の小出さんから「笑って(北島三郎の)『まつり』でも歌って見送ってくれ」と伝えられたことを明かした。厳しさと明るさを併せ持った亡き師匠へ感謝の念を示した。

 二人三脚で歩んだ小出氏の死。高橋さんは、そっと口を開いた。「ついに遠い所へ行かれてしまったのだな、と…。何も手につかず、監督を思い出して過ごすことしかできなかった」と無念な表情をのぞかせた。

 3月の渡米中に連絡が入り、病院へ何度も足を運んだ。手紙も渡し、時には思い出話で盛り上がった。

 「世界新や(五輪で)金メダルを取った時の日誌を持って行った。とんでもないメニューだったので『これ、鬼ですよ!』って言ったら、『お前は本当によく走ったなあ』って」

 25日に千葉・佐倉市内の小出氏の自宅を弔問し、遺体と対面した。最後に話したのは18日で「俺はもうダメ。お前はこれからも頑張って、50(歳)になっても輝いてくれよ」と声をかけられたという。

 「監督は周りを心配していた。『涙じゃなく、笑って(北島三郎の)“まつり”でも歌って見送ってくれ』って。最後まで気遣いの人だった」

 常識破りなトレーニングの数々も、小出氏への信頼あってこそだ。99年セビリア世陸を左膝痛で欠場した際にも揺るがなかった。

 「『8合目まで山を登ったけど、吹雪になった。このまま登っても、見える景色は吹雪だ。一度下りて、もっと大きな山を登らせてやるからな』と言われた。世陸より大きな山は一つ(五輪)しかない」

 有言実行。翌年には金メダルを手にする高橋さんと、隣で豪快に笑う小出氏の姿があった。しかし、一番の思い出は他にある。「大会より、普段の監督そのままが思い出。毎日一緒に走ってくれたこと。大会前には必ず手紙を交換したこと」。涙ぐみながら言葉を紡いだ。

 高橋さんは「私の人生は監督なしには語れない。あとは安心して、大好きなかけっこと、たくさんのお酒を飲んで、上から『ワハハハッ』と笑っていてください」と結んだ。天国の恩師へ、最後は強がるようにほほ笑んだ。

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