工藤公康も山崎武司も忘れられない「ハイ、アーン」(東スポWeb)

出典元:西武へ入団した愛工大名電の工藤公康(1982年1月)

【越智正典 ネット裏】ソフトバンクの監督工藤公康がナインに15回も胴上げされることになる、日本シリーズ第6戦の試合開始が近づいたとき、長い間、愛工大名電の球児たちの世話をし慈しんで来た小出保子さんに電話をかけた。いつも電話をかけると、それだけで花のたよりを聞く思いになる佳人である。

 彼女はいまは名古屋市守山区のトワイライトスクールで仲間の人たちと、こどもを励まし、一緒に宿題をしているが、同スクールは土曜、日曜は休みである。在宅されている筈だ。試合当日が当日だけにもう卒業生が駆けつけてくるにちがいない。

「長坂卓也くんから、これから会社を出て来てくれるという電話がいま入りました」。やっぱり…。彼は確か工藤監督の5年下で、愛工大名電がセンバツでベスト8まで勝ち進んだときの堅守の二塁手。見事にチームを引っ張っていた。彼も、工藤公康も、中日、楽天の山崎武司も彼女の「アーン」が忘れられないのである。

 朝や晩ごはんの調理が終わると彼女は当番の選手に「今日の味はどうかしら。味見をしてちょうだい。口をあけて、ハイ、アーン」。彼女はもともとは幼稚園の先生だったのだが、高校生といっても親許をはなれて合宿所に入ると、淋しくて、小学生や中学生とそうは変わらない。

 私も取材でお世話になった。戦前、東京六大学がはなやかであった1933年、南筑中、早大の中野正夫先輩から手伝いにいらっしゃい、と呼ばれたのがはじめで工藤が3年生のときには一緒に甲子園に行く。主将は中村稔(日本ハム、審判)。人生のアヤは不思議である。

 愛知県春日井。名電グラウンド、中堅うしろから右翼うしろに庄内川がゆったりと流れている。山崎武司がぶち込んでいる。となりの合宿所。愛知県大会第1試合のときは当番選手の朝ははやい。午前5時、目をこすりながら起きてくる。工藤公康は当番ではなくても、それよりはやく起きてくる。

「何か、手伝うことはないですか」

「じゃあー、みんなのテーブルに牛乳を配って」

 工藤はうれしそうである。彼女は回想する。

「責任感が強いんです。朝から緊張しているんです」

「そう、そう、いつだったか、練習が休みの日がありました。夕方、家に帰るとき、公康くんがいいました。あした、ぼくの家に来て下さい。きっとですよ。待っています。人恋しかったのでしょうか。実は公康くんの家とわたしの実家が近かったんです」

 勿論、彼女は一人の選手の家だけには行けなかった。

「公康くんにはよくいいました。世界じゅうでいちばん凄い球を投げるピッチャーだと思ってほおってね…と。責任感が強いのが心配だったのです」

 そのとき、電話のむこうでピンポーン。「アーン」が忘れられない卒業生がもうひとり来たらしい。 =敬称略=(スポーツジャーナリスト)

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