ノーヒットノーランされた京都成章の「誇り」(日刊スポーツ)

出典元:98年8月 明徳義塾戦の8回、登板に備え投球する横浜・松坂大輔

PL学園との激闘を制した横浜には翌日、明徳義塾との準決勝が待っていた。前日、250球を投げ抜いた松坂は、先発を回避し、左翼の守備位置で試合開始のサイレンを耳にした。

試合は、横浜投手陣が明徳打線につかまり、8回表終了時で「0-6」。春夏連覇の夢はついえたか、と思われた。ところが、松坂がブルペンで投球練習を開始すると、甲子園の雰囲気が一変する。横浜が8回裏に4点を返して2点差に迫ると、9回表、松坂がグルグルに巻いていた右手のテーピングを無造作に剥がし、マウンドへ向かった。大歓声に後押しされた松坂は、わずか15球で0封。横浜は9回裏、3点を奪い、サヨナラ勝ちを収めた。激闘第2幕に日本列島が熱狂する中、「松坂伝説」はフィナーレへ向かっていく。

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迎えた決勝戦。王者横浜に挑むのは、ダークホース的存在の京都成章だった。本来、高校野球に王者も挑戦者もない。だが、京都成章の主将・沢井芳信(現スポーツバックス代表取締役)は、勝敗以前に「無心」に近い心境で大一番を迎えていた。

「下馬評は、横浜がS評価だとしたら、僕らはC。うちは予選から決勝まで本塁打1本。甲子園で0本。勝てる、勝てないの発想はなかったです。ただ、個人的にはワクワクしてました。松坂と戦える、しかも甲子園の決勝で…」

初回、「1番遊撃」沢井の痛烈な打球が三遊間を襲う。だが、三塁手がはじいた打球を拾い、一塁へ好送球してアウト。結果的に、このひと振りが唯一、安打性の打球だった。

「高校生の中にプロが1人いるようでしたが、それだけじゃない。松坂が飛び抜けることなく、周りが彼を支えて、彼も周りを支える。横浜は、そういうイメージのチームでした」

試合は松坂が無安打無得点を達成。球史に残る大会として完結した。卒業後、同大、新日鉄君津(現かずさマジック)でプレーを続けた沢井は、現在、巨人上原らトップアスリートのマネジメントを手がける。仕事先などでは、今でも「あの決勝戦の…」と、話題になることも珍しくない。

「大輔があの試合を、僕らの誇りにしてくれましたね、逆に。ワールドシリーズで勝ったり、今でも輝くことで、無安打無得点をさらに価値のあるものにしてくれたと思います」

京都成章出身ながら、今も横浜、PL学園の同期生との交流は続いている。松坂に屈した共通点を持つ一方、甲子園で戦った「絆」は、歳月を重ねれば重ねるほど、深みを増してきた。

「松坂世代というのが、みんな誇りなんです。野球経験がなくても、松坂世代と自己紹介したことのあるヤツはたくさんいると思います」

超満員の甲子園での決勝戦。明暗を分けたのは、実力差だけではない。沢井はしみじみと振り返る。

「横浜との違いは、目標設定の違い。全国優勝と甲子園1勝を狙うチーム、その差が顕著でした。それは社会に出ても大事な部分。そういう意味では、2位で良かったのかなと。大輔に超一流を見せてもらえて、甲子園でいろんな成長をさせてもらいました」

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勝ち負けを超越する影響を、同時代の選手に及ぼした松坂を、育て上げた監督がいる。現横浜高校野球部名誉監督の渡辺元智(73)だ。「目標がその日その日を支配する」と言い続けた教えと、徹底した訓練。あの横浜の強さの秘密は何だったのだろうか。(敬称略=つづく)【四竈衛】

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